by suisei09
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ブログ移転することにしました。
が、落ち着くまでナイショです。 いままでありがとうございました。 しばらくしたらリンク貼りめぐらします。 いやあ、ここではたくさん書いたなあ。 #
by suisei09
| 2012-03-25 11:34
| 細川洋平
■『忘れらんねえよ』というバンドが今いいです。
ゴイステやブルーハーツ、そういったパンクの系譜なのですが、 それでも昔よりずっとイデオロギーの拡散してしまった時代を歌っていて、 妙に胸に迫る感じが。 聴いたあとに走り出したくなるような、「衝動」を形にしようとしている姿勢が 非常に好みで、できればいろんな人に聴いてもらいたいなと思います。 ■今日は3月11日です。 ■やはり自分の書いたモノにはそれなりに思いが宿っていて、 観てくれた人にはいい意見(本当にありがたい意見)をいただいたりもするのですが、 届かないところに届かない思いがまた生まれたりして、 それは先日脚本を提供させていただいた作品に関してですが、 大いなる勘違いというか、 まあここで脚本を書いただけの作家がどうこういう問題でもないのですが、 それでも自分の時間や身体、精神を割いて書いたものですから、 いろいろ言われるのは勉強になります。 それでもメール一本でもう終わり? と思う部分も多く、 実際に作品がどう観られたかも分からないまま、 有耶無耶にされることに対しては少なからず抵抗を覚えます。 三ヶ月をかけて考えてきたことですし、それでも演劇という媒体は 風化していくのが前提ではありますが、 もう少しバックアップがあってもいいんじゃないかと思っている次第です。 これは企画段階から言っていたことですが、結局そうなんですね、としかいえない。 ■ノゾエさんが岸田戯曲賞をとりました。 本当にうれしいです。 思えばぼくが以前主宰していた「水性音楽」という劇団で、 歌を取り入れたのはノゾエさん主宰の「はえぎわ」を観たときの衝撃が 忘れられなかったからであり、まあでもそんな近場で影響を受けんなよ、 という意見もありますが、それでもやはり「はえぎわ」の情動はものすごかったです。 いまはもう少しマイルドになっていますが、 「忘れらんねえよ」と同じく、言葉というよりは人間の持つ感情的な力に 感銘を受けたというのは大きいです。 とにかくうれしい。おめでとうございます。 ■BRAHMANのライブDVDが発売になりましたね。 #
by suisei09
| 2012-03-11 02:47
| 表現に震える
先日、ナギプロの凪沢さんのブログを初めて拝見しました。
「工場の娘」に関することがいろいろと書かれていておもしろかったのですが、第2章で描かれていた様々なことが、後の進行(第3章)を慮ってとのことだということになにより驚き、すこし感動しました。この場を借りて、ありがとうございました。 ぼくが東京女子収集から受けた発注はまた違う観点からのものだったので、ここら辺の行き違いが今回の作品を生んだのだなと思うと、我ながら感慨深いです。ここら辺は作家と演出家、発注してくれた東京女子収集メンバーが集まって喋ったらおもしろいかな−、とか思いました。 最近米光一成さんの助言により今さらながら平田オリザ著「演劇入門」「演技と演出」を読了。 めちゃくちゃ食わず嫌いしていた本でした。 演劇の演技と演出に関して、明快に言葉にしてある本で、非常におもしろかった。 この中で「演出家と俳優のコンテクスト(言語・背景)を摺り合わせる」ということが繰り返し語られているのでみんなも読んで。(みんなもう読んでるか) また、「郵便」の話にもなるのだけど、「自分が使った言葉を相手も同じように使っていると信じている」人に対してはもう少し注意深くなろうと。そこを意識的にしていくことで少しでも「誤配」は防げるのだろうなあと感じています。 というのはコミュニケーション上で「ん?」と思うときは必ず同じ単語を「いまこの人は違う意味で使ってるな」というときが多いからであり、これが上に書いた、凪沢さんとぼくの、同作品に向かう姿勢の違いにあらわれたのだということでしょう。 これは「だからいい/だから悪い」というようなことが言いたいわけじゃなくて、単純におもしろいなあと感じました。 演劇は普段交わすコミュニケーションよりもより意識的に意見を交換して、しかも双方の意見ができるだけ齟齬のないようにしていかなくてはいけない。そうでないと観る側が混乱してしまう。 その混乱も含めて計算されているのだとしたら別ですが、作品を作る上では何気ない言葉であっても疎かにしないようにしていきたいなと思った所存です。 という実感をもちつつ読めたので平田オリザさんの二著は昔じぶんが感じていた「食わず嫌いの上、ぜったい食うもんか」的な気持ちはあっさりと消え、すっきり。 いや正直こんな気持ちになれたのはいまだからであって、若い頃にはぜったいにぼくには理解できなかっただろうなと。いつか活かせる日がくればいいけど。 また、先週初めて快快を観ました。 非常に評判もいいし、演出家含む主要メンバーの脱退を控え、これから作風も変わっていくのだろうなと思っていたのでこのタイミングで観られたのはとてもよかった。 そして考えさせられた。 快快という団体はそもそも演劇の地図としてはどこら辺に位置するのかなと自分なりに分析。岡崎藝術座や昨年アゴラで観た矢内原美邦さんのプロジェクトとかチェルフィッチュ(本公演は未見です)とか吾妻橋ダンスクロッシング系(?)の場所になるのかな。 村上隆が「現代アートを鑑賞するときには一定以上の教養や知識が必要だ」というように、やはり言語と身体の解体からアプローチする演劇に関してはそれなりの「知識・見方」が必要なのでしょう。 そして悲しいことにぼくにはその「知識」がまだまだ全然たりないため、うまく楽しめない。 快快を観ているときも夢中になって楽しめてない自分に途中で悲しくなって、これどうなってるのかもっと知りたい、以前の公演のDVDを買ったろうかと思ったのですが、持ち前の引っ込み思案で直帰してしまいました。ほんとに他の人はどんな風に楽しんでるんだろう。ここら辺で教養が問われるんですね。がっくし。 いや、やはりこのままでは恥ずかしいのでどうにかして勉強して楽しめるようにする。 「いまの若い世代はこれがスタンダード」なのかもしれませんが、ぼくはそれをすんなり受け取れないらしいのでもう少し違う方向からアプローチできたらいいなと思います。 実は快快の終演後のアフタートーク(?)で、少しだけ米光さんが「見方」に関するヒントを口にしていて、それは嬉しかった。 つまり誰かが芸術を「言葉」にすることで「視点」が生まれて視界が明瞭になる、みたいなこと。そもそも芸術に絶対的な視点はないのですが、それでも対象に対する正しい立ち位置、「ここからなら富士山みえるよ」みたいな場所はあるわけで、それを教えてもらえると言うことは非常に嬉しい。 ガイドブックみたいなものですね。 そうそうそのガイドブックをもう少し用意したいなあと思ったわけです。 #
by suisei09
| 2012-02-22 00:27
| 演劇に震える
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