by suisei09
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某撮影に参加させていただきつつ、
すごーくゆっくりではありますが 日常 というものに 慣れて行きつつあります。 お芝居は盛んに行われて、 ツイッター上でも評判がいろいろと立っていて それはいいことだなあと思ったりしています。 それでもぼくはなかなか見に行く気分になれないのは、 どうしてなのかはわかりません。 付き合いもありますし、知り合いの役者さんだったり、好きな役者さんだったり、 いろんな人が案内をくださるのですが、 ほとんど行けていません。 まだ、観劇、という行為を取り戻すまで、ぼくは時間がかかりそうです。 #
by suisei09
| 2011-05-06 19:00
| 演劇に震える
桜が散りました。
年を取るごとに年々桜は待ち遠しくなるものですが、 今年の桜はまた様々な意味で待望、まさに待ち望んでの開花でした。 桜の咲いた時期、ぼくはずっと喫茶店に通っていて、 そこからすぐ近くに桜が見えたのです。 大きなまどのすぐそこに、朝から晩まで様々な桜の風情を楽しみました。 すごく贅沢な時間でした。 桜の美しさはため息ものです。 あのほんのり淡いピンク色、ほとんど白に近いのに、それでも色を感じる。 絶妙にまぶした花びらがわっと視界に広がると、心が溶けていくようです。 それから樹の幹の焦げ茶と灰色の混ざったような色。 今年は何回か樹に触れました。 おい、おまえよくやってくれたなあ。 みたいな気持ちです。 なにも答えてはくれませんでしたが、そのぶん花びらが答えてくれていました。 日本の四季は美しいです。 特に春と秋。 その美しさってなんだろうかと考えると、やっぱり色なんですね。 桜や梅、それから紅葉、 奥ゆかしいというか、主張しすぎないその色。 そして「個」、より「群」、で美しい。 これって日本人の心にも通じるなあと思いまして。 個人主義でなくて全体主義、これ悪く言われるときもあります、 でもすごい強みだと思います。 それから意思表示に関しても、そうです。 日本語は表現が多彩で芳醇で美しい。 そこには一筋縄で表しきれない心があるからです。 えーと、これが言いたいことです。 今、白か黒かはっきりせい、という言葉が溢れているように思えて、 いやはや何とも窮屈だなあと思っているところです。 はっきり言いたいことははっきりいうけど、 はっきりできないことだって山ほどあるんだから、 それはそれでいいじゃないの、という感じ。 全体のほのかな色、みたいなのはきっと変わってきているんです。 だけど一枚の花びらで見たら白いかも知れない。 そこを焦って何色かに染める必要なんてないんです。 引き、で見ると色は現れてくるのです。 もう一回言いますが、はっきり言いたいことは、いいます。 だから、もうちょっとぼくは日本人でいたいと思います。 余談ですが、先週役者友達の青山さん(東京タンバリン)と井本くん(温泉きのこ)と 三人で桜の木の下でお酒を飲みました。 花は散って、新緑の桜の下でした。 気温が急激に下がってきて、ぶるぶる震えながら三人で飲みました。 それを「葉見」と命名。 てゆーか、「葉見」って、葉っぱさえあればいつでもできんじゃね? みたいな感じで、暴力みたいな寒さに震えながら、三人とも考えていたでしょう。 そんな環境でも人が集まると笑いが生まれるものですなあ。 5月にもなれば少しは暖かくなるでしょうし、またやりたいなあ。 その時はもう少し集まるといいな。 #
by suisei09
| 2011-04-25 09:05
| 細川洋平
今朝がた、テラとかペタとか、あまりなじみのない単位に呆然となりまして、
ある意味、ドラゴンボールで、どこら辺ですかね、ベジータ出てきた辺りで、 スカウターが「パァンッ」とかいって壊れて測定不能になったとき以降、 「せ、戦闘能力が20万だと?!」という数字の、 むしろぼんやり具合に、あー、ここまでいぐど、わっがんねっ! ってなったのを思い出しました。 神経消耗戦、ですね。 後出しがものすごく多くて、誰しも、ほんとーに誰しもがその状況には、 疲労していると思うんです。 だから逆にこういう時にその神経に触れるような言葉はこたえますね。 某批評家(すごく尊敬している人です)がすごいツイッターでいろんなことを言って、 非難囂々だったみたいなのですが、その件に関しては、たしかに……。 「おちつけ」とか「そういうことを言うな」という意見というのは、 パニクっている発言相手を諫めているのではなくて、 「おいら、今それ言われたら壊れちまうでよ……」 という自己防衛の意味を含めての事だと思うのですが……。 ギリギリの人たちに決定打を与えてしまうから、その言葉は今言わないでいいよ、 ということだと思うんです。 すっごい極端なことを言うと、(不適切かも……) 受験で失敗して呆然としている人に耳元で 「おまえ受験落ちたんだ! 落ちたんだからな!」 って同じく受験に失敗した人が叫んでいるようなもので、 「(それはわかってますよぅ、じゃどーすればいいんですかぁ……)」 だと思うんです。 同じ状況にある中で、じゃあなにするか、それ考えないと意味ないはずです。 今の状況で冷静に震災前と変わらず、例えば「〜ペタ出てました」と聞いて 平然といられる人間なんているでしょうか。 ネットが主ですが、ツイッターとかでの情報発信(=だれのつぶやきも同じです)が、 「〜の事態になっているなんてもう終わり」とか「〜より東は絶対なってるはず」 とかそういうつぶやき自体も、実は情報として発信されていると言うことを もう少し自覚していきたいと思います。 そういうのが流れてきたときにスルーする力ももちろん備えればいいのですが、 ショック状態の時だと結構いろいろとすんなり入ってきますから、 注意が必要です。 前にも言いましたが、 できれば正確に把握するまで段階的な情報しか発表できない政府や保安院などの他に、 例えば民放各局が独自に調査チームを設けて専門家集団を集め、 それぞれで放射性物質の飛散状況などをより多角的に予測する、 なんてこと、できないものでしょうか。 今のテレビのニュース番組だと、ネットの情報や、政府・保安院の発表に対する検証、批判で終わっている気がするので。 現実的ではないのでしょうか。 でも早野教授とか、研究しているいるわけだし、その人達を個人でというより、 一所に集めて「集合知」を発揮してもらえないかなあ、と願っていたりします。 「チェルノブイリには行きたくねー」って、昔ぼくもカラオケで歌っていましたが、 どっかUKバンドとかが 「日本には行きたくね—」っていう歌を作ったら、悲しいですからね。 「政府発表遅すぎ」という声はたくさん聞こえてくるのですが、 その代わりになるような組織ができてくれたらいいなと思います。 理想ばっかりでちょっと悲しいですが。 あとは、 図太い神経と、言葉による「希望」は捨ててはならないと思います。 ともすると落ち込む方へと引き込まれてしまいますからね、 自分で調整していかないといけません。 現実は頑としてそこにありますが、それを柔らかくも堅くもできるのが「言葉」だと思います。 今は言葉でほぐしていかないといけないなあと思うのです。 ちなみに全然関係ありませんが、4月14日の深夜にフジテレビ・ノイタミナではじまる 「あの日見た花の名前をぼくはまだ知らない」(←というタイトルです) これぜったい面白いと思いますので、お時間のある方はぜひ。 んで、ぼくは頭がそれでいっぱいに、なってます。 #
by suisei09
| 2011-04-12 17:57
| 細川洋平
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