崖っぷちで目をつむる
2012-03-25T11:35:30+09:00
suisei09
ユニット『ホロビテ』主宰・細川洋平の日記や妄想。hosokawonderland◆gmail.com(◆を@に変換)←執筆依頼やご意見等お待ちしております。
Excite Blog
移転。
http://gake.exblog.jp/17719719/
2012-03-25T11:34:15+09:00
2012-03-25T11:35:30+09:00
2012-03-25T11:35:30+09:00
suisei09
細川洋平
が、落ち着くまでナイショです。
いままでありがとうございました。
しばらくしたらリンク貼りめぐらします。
いやあ、ここではたくさん書いたなあ。]]>
ドストエフスキーとカフカ
http://gake.exblog.jp/17642406/
2012-03-11T02:47:48+09:00
2012-03-11T02:49:06+09:00
2012-03-11T02:49:06+09:00
suisei09
表現に震える
ゴイステやブルーハーツ、そういったパンクの系譜なのですが、
それでも昔よりずっとイデオロギーの拡散してしまった時代を歌っていて、
妙に胸に迫る感じが。
聴いたあとに走り出したくなるような、「衝動」を形にしようとしている姿勢が
非常に好みで、できればいろんな人に聴いてもらいたいなと思います。
■今日は3月11日です。
■やはり自分の書いたモノにはそれなりに思いが宿っていて、
観てくれた人にはいい意見(本当にありがたい意見)をいただいたりもするのですが、
届かないところに届かない思いがまた生まれたりして、
それは先日脚本を提供させていただいた作品に関してですが、
大いなる勘違いというか、
まあここで脚本を書いただけの作家がどうこういう問題でもないのですが、
それでも自分の時間や身体、精神を割いて書いたものですから、
いろいろ言われるのは勉強になります。
それでもメール一本でもう終わり? と思う部分も多く、
実際に作品がどう観られたかも分からないまま、
有耶無耶にされることに対しては少なからず抵抗を覚えます。
三ヶ月をかけて考えてきたことですし、それでも演劇という媒体は
風化していくのが前提ではありますが、
もう少しバックアップがあってもいいんじゃないかと思っている次第です。
これは企画段階から言っていたことですが、結局そうなんですね、としかいえない。
■ノゾエさんが岸田戯曲賞をとりました。
本当にうれしいです。
思えばぼくが以前主宰していた「水性音楽」という劇団で、
歌を取り入れたのはノゾエさん主宰の「はえぎわ」を観たときの衝撃が
忘れられなかったからであり、まあでもそんな近場で影響を受けんなよ、
という意見もありますが、それでもやはり「はえぎわ」の情動はものすごかったです。
いまはもう少しマイルドになっていますが、
「忘れらんねえよ」と同じく、言葉というよりは人間の持つ感情的な力に
感銘を受けたというのは大きいです。
とにかくうれしい。おめでとうございます。
■BRAHMANのライブDVDが発売になりましたね。]]>
Aって言われてBだとおもったらCだった、みたいな。
http://gake.exblog.jp/17514937/
2012-02-22T00:27:00+09:00
2012-02-22T00:36:29+09:00
2012-02-22T00:28:59+09:00
suisei09
演劇に震える
「工場の娘」に関することがいろいろと書かれていておもしろかったのですが、第2章で描かれていた様々なことが、後の進行(第3章)を慮ってとのことだということになにより驚き、すこし感動しました。この場を借りて、ありがとうございました。
ぼくが東京女子収集から受けた発注はまた違う観点からのものだったので、ここら辺の行き違いが今回の作品を生んだのだなと思うと、我ながら感慨深いです。ここら辺は作家と演出家、発注してくれた東京女子収集メンバーが集まって喋ったらおもしろいかな−、とか思いました。
最近米光一成さんの助言により今さらながら平田オリザ著「演劇入門」「演技と演出」を読了。
めちゃくちゃ食わず嫌いしていた本でした。
演劇の演技と演出に関して、明快に言葉にしてある本で、非常におもしろかった。
この中で「演出家と俳優のコンテクスト(言語・背景)を摺り合わせる」ということが繰り返し語られているのでみんなも読んで。(みんなもう読んでるか)
また、「郵便」の話にもなるのだけど、「自分が使った言葉を相手も同じように使っていると信じている」人に対してはもう少し注意深くなろうと。そこを意識的にしていくことで少しでも「誤配」は防げるのだろうなあと感じています。
というのはコミュニケーション上で「ん?」と思うときは必ず同じ単語を「いまこの人は違う意味で使ってるな」というときが多いからであり、これが上に書いた、凪沢さんとぼくの、同作品に向かう姿勢の違いにあらわれたのだということでしょう。
これは「だからいい/だから悪い」というようなことが言いたいわけじゃなくて、単純におもしろいなあと感じました。
演劇は普段交わすコミュニケーションよりもより意識的に意見を交換して、しかも双方の意見ができるだけ齟齬のないようにしていかなくてはいけない。そうでないと観る側が混乱してしまう。
その混乱も含めて計算されているのだとしたら別ですが、作品を作る上では何気ない言葉であっても疎かにしないようにしていきたいなと思った所存です。
という実感をもちつつ読めたので平田オリザさんの二著は昔じぶんが感じていた「食わず嫌いの上、ぜったい食うもんか」的な気持ちはあっさりと消え、すっきり。
いや正直こんな気持ちになれたのはいまだからであって、若い頃にはぜったいにぼくには理解できなかっただろうなと。いつか活かせる日がくればいいけど。
また、先週初めて快快を観ました。
非常に評判もいいし、演出家含む主要メンバーの脱退を控え、これから作風も変わっていくのだろうなと思っていたのでこのタイミングで観られたのはとてもよかった。
そして考えさせられた。
快快という団体はそもそも演劇の地図としてはどこら辺に位置するのかなと自分なりに分析。岡崎藝術座や昨年アゴラで観た矢内原美邦さんのプロジェクトとかチェルフィッチュ(本公演は未見です)とか吾妻橋ダンスクロッシング系(?)の場所になるのかな。
村上隆が「現代アートを鑑賞するときには一定以上の教養や知識が必要だ」というように、やはり言語と身体の解体からアプローチする演劇に関してはそれなりの「知識・見方」が必要なのでしょう。
そして悲しいことにぼくにはその「知識」がまだまだ全然たりないため、うまく楽しめない。
快快を観ているときも夢中になって楽しめてない自分に途中で悲しくなって、これどうなってるのかもっと知りたい、以前の公演のDVDを買ったろうかと思ったのですが、持ち前の引っ込み思案で直帰してしまいました。ほんとに他の人はどんな風に楽しんでるんだろう。ここら辺で教養が問われるんですね。がっくし。
いや、やはりこのままでは恥ずかしいのでどうにかして勉強して楽しめるようにする。
「いまの若い世代はこれがスタンダード」なのかもしれませんが、ぼくはそれをすんなり受け取れないらしいのでもう少し違う方向からアプローチできたらいいなと思います。
実は快快の終演後のアフタートーク(?)で、少しだけ米光さんが「見方」に関するヒントを口にしていて、それは嬉しかった。
つまり誰かが芸術を「言葉」にすることで「視点」が生まれて視界が明瞭になる、みたいなこと。そもそも芸術に絶対的な視点はないのですが、それでも対象に対する正しい立ち位置、「ここからなら富士山みえるよ」みたいな場所はあるわけで、それを教えてもらえると言うことは非常に嬉しい。
ガイドブックみたいなものですね。
そうそうそのガイドブックをもう少し用意したいなあと思ったわけです。]]>
今週です。(宣伝)
http://gake.exblog.jp/17455071/
2012-02-13T16:24:00+09:00
2012-02-13T16:39:57+09:00
2012-02-13T16:25:32+09:00
suisei09
演劇に震える
台本を書き下ろしました演劇が始まります。
書くときはずいぶんと頭を抱えましたが、
脱稿した今となってはその役目は演出さんや役者さんになっているようで、
稽古日記を見るたび、「どんな稽古をしているのかな」と想像させられます。
ぼくは今まで自分の劇団では作品作りと稽古をほぼ平行してやっていたので、
「どんな話?」という系の質問には弱く、
ずいぶんと宣伝には苦労したしさせたなーという自覚があります。
で、今回は作家と演出が完全に別れているので、
物語自体の流れを知っていてもどんな演出、演技、舞台回りになるのか、
想像する楽しみが個人的に大きく、
「じゃあみなさんも物語知っててもたのしめるんじゃない?」
と考えました。
まあそもそも作品において物語なんて入り口に過ぎなくて、
その場でなにを受け取るのかという選択肢は果てしなく用意されているものですから、
たとえば役者の表情とか声とか身のこなしとか、その場の空気感とか、
話の流れを知っているというのはそんなに悪いことではないのでは。
もちろん話の構造自体が一つのネタになっている作品などに関しては
十分デリケートに扱う必要はあるでしょう。
猫ニャーとかはあらすじの説明がものすごく難しかった記憶ありますし。
今回はそれに当たらない、というか話を少しでも知ってもらって、
それから見に来てもらった方がいいのでは?
と思ったので、勝手にこちらでお話を紹介しようかな。
芝居を見に来る方の中には「ぜったいにあらすじは知りたくない」
という方もいるかもしれませんが、
見ること自体を悩んでいる方にとっては大きな判断材料になるかなということで、
以下にあらすじを書いてみます。
見たくない人は見ないようにしてください。(*後記:結果ネタバレになってません)
その前にひとこと。
気になったらぜひ観に来てください。
そこから始まるといいなと思います。
+++++++++++++
とある工場で働く男女の話です。
工場だけでなく、場所が変わります。
その内関係が変わっていきます。
+++++++++++++
全然ダメだ(笑)。
今回リレー形式で三人が一つの物語をかいていて、
他の二人のパートってちょっと書きづらい。
ちなみに導入の第1話は温泉きのこの佐藤もとむさん、
真ん中の第2話はナギプロの凪沢渋次さんです。
いい方法があったら水曜くらいまでに書きます。
参考になるか分かりませんが、ぼくの書いたパートはちょっと
というかかなり不思議な感じのお話になっています。
中野あくとれでやってます。]]>
お知らせ
http://gake.exblog.jp/17395670/
2012-02-03T20:02:00+09:00
2012-02-04T13:51:52+09:00
2012-02-03T20:03:36+09:00
suisei09
表現に震える
劇作家としての活動報告を。
まず、現在大絶賛公開中の矢口史靖監督作品『ロボジー』に出演させていただいています。
昨年撮影した作品で、非常に感慨深いです。
そして、すごくおもしろい。
これはぜひみなさんに見ていただきたいです。
ぼくがどこでなにをしているのかは、気づかなかったらそれはそれ。
物語を純粋に楽しんでください。
ライター(?)としては、昨年末、参戦しましたBRAHMANのライブ、
それについてレビューを書き、ロッキング・オン・ジャパン、
ただ今発売中の3月号チャットモンチー表紙の号の、
後ろの方のページに載っております。熱気ムンムンな文ですがぜひご一読ください。
じつはロッキング・オン・ジャパンに掲載されるのは二度目です。
前回は二年前にかまってちゃんについて書きました。
劇作家としては、今月、2月16日〜19日まで、中野あくとれで行われる、
東京女子収集「工場の娘」に作家の一人として作品を書き下ろしています。
純粋に作家として書き下ろすのが10年ぶりとかなので、
演出と演技によってどのように味付けされるのか、非常に楽しみであります。
みなさまもぜひ、お時間ありましたらご来場ください。
東京女子収集
↑リンクです。
あと、個人的には、school food punishmentの活動休止が非常に残念です。
ライブ1回は見てみたかった。]]>
2012
http://gake.exblog.jp/17299787/
2012-01-10T07:35:25+09:00
2012-01-10T07:36:34+09:00
2012-01-10T07:36:34+09:00
suisei09
細川洋平
昨年の震災前後に書いたブログもいったん未公開にしておりましたが、
潔くないだろうと思い、いまさらではありますが再公開いたします。
今年は年明け早々、親友の瀬戸口くんと浅草寺に行きまして、
年明け早々というか、年越しをしまして、そんで勢いづいて強気でおみくじをひきました。
「凶」出ました。笑。
まじテンション落ちまくりで隣でプチ幸せ(いいおみくじ)を噛みしめているセトロにやつ当たろうにもなにも思い浮かばず、ウソだといってよバーニィ!状態でした。
ひと言言わせてもらうなら、「抜いとけよ浅草寺!」
いい初夢も見られず、今年は前途多難な空気が漂っています。
が、
曇りなき眼で前を見つつ、
ときどき曇った眼で前を見つつ、
アトランティス大陸を探そうと思います(中二病)。
もとい、満足のいく一年にしたいと思います。
みなさまの一年も健やかでよいものでありますよう。]]>
そういえば。
http://gake.exblog.jp/17110922/
2011-11-19T10:13:29+09:00
2011-11-19T10:14:32+09:00
2011-11-19T10:14:32+09:00
suisei09
細川洋平
さまざまに悶絶し、ほんっっっとーーうにみんなに助けられ、
「できんのか??」という状態の中で、
それでもどうしてもやりたいという願いで作った曲でした。
ライブでの評判もよく、ほっと胸をなで下ろすどころか、
嬉しくて当日のお酒の進みもハンパなかったです。
ビート刻むドラム、唸るベースラインに、踊るキーボード。
リハ終わったあとに録音した音源を聴き直すのですが、
それぞれのパートがとてもステキで、、、
……自画自賛みたいになってますけど、
アレンジは各パートのみんなにやってもらっていたので、
いい具合に客観視できてたはず、です。
この曲は演奏していても楽しくて、「ああ、一体感」って感じでした。
ライブ音源聴くとものすごくぼくが「走って」いるのですが……笑。
でも楽しかったです。
いろいろな方のいろいろな力が合わさってできた曲。
言葉にしきれないものを感じられたのは本当によかった。
またああいう感じのはやりたいなあと思いました。
めっきり寒くなりました。
今年の冬はそれまでとは何もかもが違う、そんな冬になりそうです。]]>
ブログを辞めたわけではありません。
http://gake.exblog.jp/17106217/
2011-11-17T23:42:03+09:00
2011-11-17T23:43:07+09:00
2011-11-17T23:43:07+09:00
suisei09
未分類
ここ最近はじっくりと腰を据えていこうと思えるものに出会ったり、
やってみようと思えるものに出会ったり。
そんな日々を送っています。
そういえば先月「ホロビテ」でライブ出演しました。
メンバーはぼくと、村上寿子と、井本洋平くんと、宮崎陽介さん。
新曲を二曲作って挑んだのですが産みの苦しみに悶えながら、
ライブ当日は非常に楽しく演奏しました。
もともとぼくも村上さんも井本くんもバンド素人なので、
音楽言語を装備している宮崎さんにものすごい支えられながら
なんとかなんとか作っていきました。
芝居とバンドじゃあこんなにも作り出す方法が違うんだなと実感しつつ、
そういえば最近芝居にあまり触れてないなーと考えたり。
さてさて、次、みなさまの前にお目にかかるのはいつになるやら。
といいつつも、出演した映画の公開が2本控えていたり、
一瞬だけ出演している「モテキ」が大ヒットしていたり、
間もなく撮影に入るものもあったりと、
ゆっくりゆっくり役者活動もしております。
同時にこの先多く過ごす事になる「時間」のために勉強もかかさずやっていけたらと思っています。
また近いうちに更新します。
来年はほぼ日手帳デビュー元年とします。]]>
久しぶりに。
http://gake.exblog.jp/16646767/
2011-07-26T09:16:38+09:00
2011-07-26T09:17:23+09:00
2011-07-26T09:17:23+09:00
suisei09
表現に震える
最近はかなり良好です。
お仕事はちょくちょく、でしょうか。
お仕事のない時間は個人的にずっとしたかったことをしています。
「コクリコ坂から」は胸を掻きむしられるほど感動したのですが、
それは自分の原風景が大きく関係しているのかも知れません。
いずれにしても、スタジオジブリが日本にあってよかったなあと思います。
学園紛争、熱気、仲間、生い立ち、歌声喫茶、歴史、、、
そういうものを横断的に考えました。ばーっと。ほんとにばーっと。
あと、小説で、ライトノベルですが、
「ぼくの妹は漢字が読める」
という小説はぜひ本好きにはおすすめしたい一冊です。
メタ・ライトノベルというか、非常に楽しみながら考えさせられます。
あと、笑います。
ブログ来訪、ありがとうございます。]]>
ただ今。現在。
http://gake.exblog.jp/16290624/
2011-05-06T19:00:07+09:00
2011-07-26T09:06:08+09:00
2011-05-06T19:00:45+09:00
suisei09
演劇に震える
すごーくゆっくりではありますが 日常 というものに
慣れて行きつつあります。
お芝居は盛んに行われて、
ツイッター上でも評判がいろいろと立っていて
それはいいことだなあと思ったりしています。
それでもぼくはなかなか見に行く気分になれないのは、
どうしてなのかはわかりません。
付き合いもありますし、知り合いの役者さんだったり、好きな役者さんだったり、
いろんな人が案内をくださるのですが、
ほとんど行けていません。
まだ、観劇、という行為を取り戻すまで、ぼくは時間がかかりそうです。]]>
日本の色は。
http://gake.exblog.jp/16237895/
2011-04-25T09:05:00+09:00
2012-01-10T07:24:07+09:00
2011-04-25T09:05:44+09:00
suisei09
細川洋平
年を取るごとに年々桜は待ち遠しくなるものですが、
今年の桜はまた様々な意味で待望、まさに待ち望んでの開花でした。
桜の咲いた時期、ぼくはずっと喫茶店に通っていて、
そこからすぐ近くに桜が見えたのです。
大きなまどのすぐそこに、朝から晩まで様々な桜の風情を楽しみました。
すごく贅沢な時間でした。
桜の美しさはため息ものです。
あのほんのり淡いピンク色、ほとんど白に近いのに、それでも色を感じる。
絶妙にまぶした花びらがわっと視界に広がると、心が溶けていくようです。
それから樹の幹の焦げ茶と灰色の混ざったような色。
今年は何回か樹に触れました。
おい、おまえよくやってくれたなあ。
みたいな気持ちです。
なにも答えてはくれませんでしたが、そのぶん花びらが答えてくれていました。
日本の四季は美しいです。
特に春と秋。
その美しさってなんだろうかと考えると、やっぱり色なんですね。
桜や梅、それから紅葉、
奥ゆかしいというか、主張しすぎないその色。
そして「個」、より「群」、で美しい。
これって日本人の心にも通じるなあと思いまして。
個人主義でなくて全体主義、これ悪く言われるときもあります、
でもすごい強みだと思います。
それから意思表示に関しても、そうです。
日本語は表現が多彩で芳醇で美しい。
そこには一筋縄で表しきれない心があるからです。
えーと、これが言いたいことです。
今、白か黒かはっきりせい、という言葉が溢れているように思えて、
いやはや何とも窮屈だなあと思っているところです。
はっきり言いたいことははっきりいうけど、
はっきりできないことだって山ほどあるんだから、
それはそれでいいじゃないの、という感じ。
全体のほのかな色、みたいなのはきっと変わってきているんです。
だけど一枚の花びらで見たら白いかも知れない。
そこを焦って何色かに染める必要なんてないんです。
引き、で見ると色は現れてくるのです。
もう一回言いますが、はっきり言いたいことは、いいます。
だから、もうちょっとぼくは日本人でいたいと思います。
余談ですが、先週役者友達の青山さん(東京タンバリン)と井本くん(温泉きのこ)と
三人で桜の木の下でお酒を飲みました。
花は散って、新緑の桜の下でした。
気温が急激に下がってきて、ぶるぶる震えながら三人で飲みました。
それを「葉見」と命名。
てゆーか、「葉見」って、葉っぱさえあればいつでもできんじゃね?
みたいな感じで、暴力みたいな寒さに震えながら、三人とも考えていたでしょう。
そんな環境でも人が集まると笑いが生まれるものですなあ。
5月にもなれば少しは暖かくなるでしょうし、またやりたいなあ。
その時はもう少し集まるといいな。]]>
頭がそれでいっぱいに
http://gake.exblog.jp/16180630/
2011-04-12T17:57:00+09:00
2012-01-10T07:24:07+09:00
2011-04-12T17:58:30+09:00
suisei09
細川洋平
ある意味、ドラゴンボールで、どこら辺ですかね、ベジータ出てきた辺りで、
スカウターが「パァンッ」とかいって壊れて測定不能になったとき以降、
「せ、戦闘能力が20万だと?!」という数字の、
むしろぼんやり具合に、あー、ここまでいぐど、わっがんねっ!
ってなったのを思い出しました。
神経消耗戦、ですね。
後出しがものすごく多くて、誰しも、ほんとーに誰しもがその状況には、
疲労していると思うんです。
だから逆にこういう時にその神経に触れるような言葉はこたえますね。
某批評家(すごく尊敬している人です)がすごいツイッターでいろんなことを言って、
非難囂々だったみたいなのですが、その件に関しては、たしかに……。
「おちつけ」とか「そういうことを言うな」という意見というのは、
パニクっている発言相手を諫めているのではなくて、
「おいら、今それ言われたら壊れちまうでよ……」
という自己防衛の意味を含めての事だと思うのですが……。
ギリギリの人たちに決定打を与えてしまうから、その言葉は今言わないでいいよ、
ということだと思うんです。
すっごい極端なことを言うと、(不適切かも……)
受験で失敗して呆然としている人に耳元で
「おまえ受験落ちたんだ! 落ちたんだからな!」
って同じく受験に失敗した人が叫んでいるようなもので、
「(それはわかってますよぅ、じゃどーすればいいんですかぁ……)」
だと思うんです。
同じ状況にある中で、じゃあなにするか、それ考えないと意味ないはずです。
今の状況で冷静に震災前と変わらず、例えば「〜ペタ出てました」と聞いて
平然といられる人間なんているでしょうか。
ネットが主ですが、ツイッターとかでの情報発信(=だれのつぶやきも同じです)が、
「〜の事態になっているなんてもう終わり」とか「〜より東は絶対なってるはず」
とかそういうつぶやき自体も、実は情報として発信されていると言うことを
もう少し自覚していきたいと思います。
そういうのが流れてきたときにスルーする力ももちろん備えればいいのですが、
ショック状態の時だと結構いろいろとすんなり入ってきますから、
注意が必要です。
前にも言いましたが、
できれば正確に把握するまで段階的な情報しか発表できない政府や保安院などの他に、
例えば民放各局が独自に調査チームを設けて専門家集団を集め、
それぞれで放射性物質の飛散状況などをより多角的に予測する、
なんてこと、できないものでしょうか。
今のテレビのニュース番組だと、ネットの情報や、政府・保安院の発表に対する検証、批判で終わっている気がするので。
現実的ではないのでしょうか。
でも早野教授とか、研究しているいるわけだし、その人達を個人でというより、
一所に集めて「集合知」を発揮してもらえないかなあ、と願っていたりします。
「チェルノブイリには行きたくねー」って、昔ぼくもカラオケで歌っていましたが、
どっかUKバンドとかが
「日本には行きたくね—」っていう歌を作ったら、悲しいですからね。
「政府発表遅すぎ」という声はたくさん聞こえてくるのですが、
その代わりになるような組織ができてくれたらいいなと思います。
理想ばっかりでちょっと悲しいですが。
あとは、
図太い神経と、言葉による「希望」は捨ててはならないと思います。
ともすると落ち込む方へと引き込まれてしまいますからね、
自分で調整していかないといけません。
現実は頑としてそこにありますが、それを柔らかくも堅くもできるのが「言葉」だと思います。
今は言葉でほぐしていかないといけないなあと思うのです。
ちなみに全然関係ありませんが、4月14日の深夜にフジテレビ・ノイタミナではじまる
「あの日見た花の名前をぼくはまだ知らない」(←というタイトルです)
これぜったい面白いと思いますので、お時間のある方はぜひ。
んで、ぼくは頭がそれでいっぱいに、なってます。]]>
よくわからないこと。
http://gake.exblog.jp/16165258/
2011-04-09T09:37:00+09:00
2012-01-10T07:24:07+09:00
2011-04-09T09:38:17+09:00
suisei09
表現に震える
原発についてです。
先日も斉藤和義さんが「ずっとウソだった」を歌い反響を呼んでいます。
率直に、ぼくは原発問題に関しては、よくわかりません。
立場をはっきりさせないまま話すというのは難しい、という見方もあるかも知れませんが、
世界が白か、黒か、だけになっていったら、どっちかの意見に塗りたくなって、
やっぱりそこには衝突が生まれ、悲しみの原因になる気がします。
グラデーションがあるのが今の時代のいいところです。
どれにしても過ぎたるは及ばざるがごとしですが、つまりはこのグラデーションのもやーっとした立ち位置で、ぼくはいま話そうとしています。
また今まで全然疑問を抱かず(存在も問題視せず)に恩恵にあやかってきた身としては、
現在の事態、「ほら危ないだろう!!」というより先に、
事態の収拾を早くして欲しいという気持ちの方が強く、
それ以上先、原発の是非などに向いていきません。
また、この問題に関して、おおー、というエントリを書いているのが、
飯野賢治さんのブログ
で、立場をはっきりと表明した上での意見を書いています。
飯野賢治さんといえば、あの「SONY」→うにゅーん→「SEGA」の人、という認識ですね(笑)
個人の意見と子孫達の意見と、それぞれで決めて行かなくてはいけない、というようなことを書いています。お子さんいらっしゃったんですね。
閑話休題。
ざっくり、今の事態は緊急事態だと思うし、こんなにみんなを不安に陥れる、なんて大変なものに手を出していたんだろう、とおもいます。
それでもぼくは、どっちなんだろう、よくわかりません。
少し前に話題になりました、
14才のタレント藤波心さんのブログがあります。
読んで、ツイッターで賞賛する有識者、文化人が大勢いて、なんか悲しい気持ちになりました。
タレントが何かに対して意思表示をするというのは簡単なことではないと思います。
たとえば広告やスポンサー問題。
批判をするタレントを自分の企業が使いたがるのかな、と考えます。
またその企業がスポンサーになっている企画。
タレントが何かのテレビに出てる時、そこのスポンサーを批判して、有名なエピソードだと「CMの間にトイレに」みたいなことを言って降板させられたタレントがいます。
すごく、企業を批判する、というのは、ある立場の人間には難しい問題だと思います。
それでなにが悲しかったかというと、藤波さんは14才です。まだまだ成人の20才まで時間はあるし、その先もたくさんのたくさんの未来があります。
その子が自覚の上か無自覚かはしりませんが、「もしかしたらタレントとしての仕事がなくなるかもしれない」というリスクを負って意思表示をしました。
今は例えば放射能が怖くて言っているかも知れません、でももしぼくが近くにいる人間だったら、「もう少し考えて、ほんとうに自分が言わなくてはいけないことなのか」を問うと思います。
でなければ将来の話をします。
「タレントとして、仕事が減ってしまうかも知れないけどそれでも構わないのか」ということです。
今の十代やより小さい子供達はこれからの世界を担っていきます。
大きな可能性と希望を持って生きています。
それを誰も否定する権利はないと思うし、できることなら大切にしたい、と思います。
だから若いタレントが何かを批判するということは、あまりいいことではないんじゃないかな、と思います。
まだあります。
賞賛した「有識者」や「文化人」たちはいったい何をしているのでしょうか。
今の社会を動かすのは今、社会的影響力を持っているそんな大人達のはずです。
なのに、その人達は、例えば立場を表明せず、藤波さんの文章を絶賛したりしています。
絶賛するくらいなら藤波さんの代わりにその文章に値するものを書いてもらいたい、と思いました。
文章を褒めたのであって意見を支持するものではない、という事なのでしょうか。
文章も意見も支持する「識者」たちも、その言葉の意味することをちゃんと言って欲しいと思います。
大人の、「識者」の役割って、なんだろうなあと考えてしまいました。
「難しい問題」ならそう言って欲しい。ちゃんと本人にも言って欲しい。
祭りあげるだけ、なのはやめて欲しい。
今、世界各国が義援金を日本に送ってくれていますが、それでよく耳にするのが、
「以前日本には大いに助けてもらったから」です。
昔したことが今返ってくる。
世代を超えて返ってくる。
昔大人だった人たちが、昔子供だった人たちに何かを残す。
すげー、と思います。
だったら、今、大人達がすることで、下の世代にいいものを残せるようにしたいなと思います。
少なくとも若い人たちの可能性は大きく残しておきたいです。
子供もいないぼくが思うくらいですから、親になった人たちはもっと強く思っていることだと思います。
そのためにきっと原発のことももっと真剣に考えなくてはいけないと思います。
電気、エネルギーの問題。
ひとつ思うことがありまして、
空気にのる、というのはいいこともありますし、怖いことでもあります。
「お祭り騒ぎ」「祝祭」が、ただ、好きな人もいます。好きにもいろいろありますが。
「祝祭化」が怖いのは偽装や、先導する人たちが、どこに行こうとしているのか、が見えなくなることだと思います。
また、好きな人たちによる自己目的化。お祭りだけする、みたいなかんじですね。
だからお祭りは一旦引いてみてもいいかなと思います。
そうではなくて、もう少しその先の、より中心に近い物事を考えていきたいと思いました。
それを静観というのかもしれません。うん、そうかも知れません。
まあでもわからないものはわからないし、しょうがない。
うーん、なかなかやっぱりむずかしい。
最後にもう一回いいますが、
エネルギー問題はぼくにはまだよくわかりません。
従ってどっちなのか、ということを言えませんし、言おうとも思いません。
それより一刻も早い原発の復旧、光明を見いだせますように、と願うばかりです。]]>
BRUTUS 糸井重里さん特集について
http://gake.exblog.jp/16141856/
2011-04-04T01:27:00+09:00
2012-01-10T07:24:07+09:00
2011-04-04T01:27:36+09:00
suisei09
表現に震える
というより、個人的に「これは長文になりそうなので」
ということで自粛している話題がちらほらあります。
今日は簡単に。
BRUTUSの今号ご覧になりましたか?
糸井重里さん特集です。
ぼくはそれほど糸井さんにくわしくないのですが、
(トトロのお父さん、MOTHERのひと、有名なコピーライターっていうくらいです)
今回のを読むにつけ(まだ読み終わっていません)、
なんというか、ある意味ヒューマンエラーを折り込んだ
思考をずっとしているひとなんだなあと思いました。
その上でどうかんがえるか、行動するか。
今回の震災や原発事故で理系の方々の発言は常に注目されてきました。
ぼくもずっと見てきました。
ただ、それってちょっとずつ疲れてくるんですね。
あと慣れて来ちゃうんです。
厳然たる数字があると比較しちゃうし。
それと同時に無力感も強くなって来ちゃう。
そういうことももちろん大切ですが、それと同じくらい、
数値化できないもの、文系の分野だと思いますが、
そういったところを考えないとなと思うのです。
それをわかりやすく言葉にしてくれるのが糸井さんだなあと。
BRUTUSとあと(またまたすみません)ツイッターで思いました。
今回の震災のこともそうですが、もっと縮尺して、
日々のクリエイションの事とか、そういうことにも、
見事にハッと思わせてくれる言葉があり、
いま、現実逃避とは違いますが、
個人の力だけではどうあっても立ち向かえないレベルの出来事を
次々と突きつけられている今、
これはたまらんのです。
実は、というか、みなさんご存じかも知れませんが、
震災の復興も、原発の件も、
年単位の話になっていますね。
原発に関しては現段階(2011/04/03)でけっこう怖い話も出てきています。
知ること、と、それに伴って動くこと、
が、
もうぼくにはできないんだなあと思っている次第です。
現場に行ってがんばることも、知識を使って助言することもできません。
そしたら、どうすっぺかなあ、とおもいまして、
やっぱりそれなりに情報を得ながら、シャットダウンしながら、慣れすぎることなく、
日常を、気長に続けていくしかないんかなあ、ということです。
義援金などは中長期的に支援していこうと思っていますが、
現地の方々にとっては雀の涙ほどかも知れません。
うーん、何が言いたいかと言いますと、
危機的状況から目をそらすわけではなく、そこはちゃんと見ながらも、
(見ざるを得ないと言いましょうか)
それでもユーモアを忘れないでいけたらいいなと思います。
エビデンスを示さなくて恐縮ですが、
どこかのブログで、
「コップ半分に水が入っているのを、“もう半分”と感じるか“まだ半分”と感じるかで事態は大きく違ってくるはず」
とありました。
けど、ぼくにはその「コップ」の大きさすら分からないので、ええと、
「んで、危ねえの? 危なくねえの?」という単純化をしてしまいます。
「単純化。それがパニックの元ですよ」という声もありますが、
情報ジャンキーみたいになりつつあったぼくなんかはどうも、
とにかくそういう単純化された声で次の行動を決めたい、と思っていました。
そんなことを続けていると疲弊していくだけなんですね。
すり減ってしまって、しかも事態は映画みたいにばーっとなって好転したりしない。
ゆるやかーな出来事の連続です。
ずーっとこの状態が続き、それを見つめ続けるのって、ちょっと、
自分には難しいかなあと思っていたのです。
多くの人がそうだと思いますが。
そんなときに今回のBRUTUSがあったものだから、
つい夢中で読みふけっちゃいます。
震災前の密着記事ではあるのですが、
思考は一朝一夕のものではなく、
パラダイムシフトが起こったかに見える今でもじゅうぶん、
心に響きます。
つまり間違いもあるし、それも認めた上でいろんな振り幅でいきましょうぜ、
って、思わせてくれます。
「ほぼ日」でもありましたが、「どちらかに進むこと」ということがたいせつで、
選んだこと、そのものを尊重しようと。
たぶんそれは無意識のうちにみんなやっていることなんだと思います。
でも「承認してくれることば」ってなかなか出会いません。
無意識の選択に言葉をかけることは難しいですからね。
その言葉を、糸井さんは文字にしています。
これってけっこう嬉しいことで、
そういうことでもこの先が変わるんじゃないかなと思えたりする時もあります。
でもこういうことばをはっきり口にすることは意外に難しいと思います。
無責任だと揶揄されたりするでしょうし。
理系の思考になれていないひと(ぼくとか)なんかには、
おおー、肩の荷少し下りたー
みたいに感じることができたりします。
実にいいタイミングで発売してくれたなと思います。
好き好きはあると思いますが、
おすすめ致します。
手にとってじっくりと感じて見てはいかがでしょうか。
いやあ、言葉のえらぶ心があたたかいんですよね。]]>
劇場の灯を消さないこととは。
http://gake.exblog.jp/16095988/
2011-03-24T14:48:00+09:00
2012-01-10T07:24:07+09:00
2011-03-24T14:49:12+09:00
suisei09
表現に震える
「居心地の悪さ」に対する、です。
演劇をやられている方、観劇される方、その他多くの方が目にしたと思います。
野田秀樹氏の自身のカンパニー「NODA・MAP」HP上で発表された、
「劇場の灯を消してはいけない」
についてです。
まず野田秀樹氏のことをぼくは尊敬しています。それは常々書いてきました。
劇作家として演出家として、また俳優として尊敬しています。
ただ、今回感じる違和感に関してはちゃんと言いたいと思ったのでココに書いておこうと思います。
長文にはなりますが、気分を害されるかも知れませんのであらかじめ断っておきます。
野田さんの今回の文章に対する批判を書きます。
まずぼくがこのエントリ「劇場の灯を消してはいけない」を読んだ際に感じた事としては、やはり率直に「違和感」でした。
東北関東大震災に際して寄せられたという文章には、演劇人、文化人、創作を司るあらゆる人々の思いが込められているように思いました。
このような事態にこそ「ココロ」を失ってはならない、自主規制、不謹慎という気分に表現の翼を折られてはならない。表現をし続けることこそ、「ココロ」を保ち続ける事なのだ、と。
それには大いに同意致します。表現が失われたとき、人々はただ「現実」というたったひとつの事象に向き合わなくてはいけない。先にツイッターにも引用させていただきましたが、バルガス=リョサの著書「嘘から出たまこと」にもあります。
「人は真実だけで生きているのではなく、時には嘘も必要なのだ。もちろんそれは、自由から生まれてくる嘘であって、強いられた嘘ではなく、嘘としてつかれる嘘であって、歴史の隠れ蓑を着せられた嘘ではない。フィクションは人の生活を豊かにし、補足し、たとえ一時的にではあれ、いつも能力以上を夢見て憧れる我々の悲劇的欲求を満たす」
野田氏のいう「ココロ」とはそういうものなのだと思います。
ただ、早期上演再開がどうしても今回の大震災に際してとられる方法として最適だったのかというと、首をかしげざるを得ません。東京には計画停電が実施されている地区というのはそう広範囲ではありません。どういう事情かはしりませんが、確かに心臓部として電力供給を止められないというのは理解に易いことだと思います。
埼玉県などは粛々と計画停電を実施しています。とある区画では電気が一切灯っておらず、ある時間からは道を挟んだ区画が停電になる。それを普通にこなしています。
この電力はいったいどこへ行っているのでしょうか。
東北地方に届いているのでしょうか。
興行的に非常に莫大な予算がかかっている。シアターコクーンでの公演であれば、しかもキャストに関してもあれだけのキャストを集めれば、ぱっと思いつくような予算での公演ではないだろうと思います。だから、「中止」、「休止」というのは「予算的に」非常に困難であるでしょう。
ですが、本当に「ココロ」を守るためだとするなら、やはりやり方は違ってくるのではないでしょうか。
電力を消費することで守る「ココロ」とは、電力を消費しないで守れないのでしょうか。
自粛とかという事ではなく、その時に「適した表現」、不謹慎と責めるのではなくて、少し冷静になった表現というのは不可能なのでしょうか。
演劇は当然劇場で行われるものです。
この大震災で次々と中止となった様々な表現活動。
ですがそれを責める事は誰にもできません。
対して再開することに踏み切った興行主に対しても同じく、責める事はできません。
ただ、それを「今だからこそ」なんて言う言葉で美化しないで欲しい、と思うのです。
ただ、中止と再開を誰しも天秤にかけ、実利的な方を選んだのだと、ちゃんとそう言って欲しい。
綺麗な言葉で包んで装飾しないで欲しいのです。
節電は不可避なのですから。
もし再開された「南へ」がロウソクや自家発電機での公演であればこんな事は思わなかったかも知れません。
今、現実的に迫られている問題は、「節電」であり、「表現の自粛」ではないのですから。
「人々の安全」であり、「公演の中止」ではないのですから。
どこのカンパニーだか失念してしまいましたが、実際に「こんな事態なので」ということで、照明音響を使わず、蛍光灯と生演奏で公演続行します、というお知らせがツイッター上で流れてきました。
表現というのは時代や直面する現実を取り込んで大きく変化していくものだと思います。本当に「今、自分たちができること」がなにか、を考えていたのは、そんなカンパニーだったのではないかと思います。その対応力と実行力には敬意を表します。
NHKが災害発生時にUstreamでの再送信を認めました。
radikoが地域制限を解除し、東北地方であってもネット経由でラジオを聴けるようにしました。
シンディ・ローパーがニコニコ動画で大阪でのコンサートを配信しました。
震災前と震災後では日常というものは決定的に違うと思います。
その震災後の日常を踏まえ、改めて表現を発信していくことが、本当に「ココロ」を取り戻していくことに繋がるのではないでしょうか。
映画「タイタニック」で終盤、沈みゆく船の甲板上、四人のオーケストラの奏者が一度解散したのち、再び集まって演奏を続けます。ドラマチックに臭いと思いますが、「自分たちができること」を選んだ結果が現れています。そして、そこでは決して悲しい曲は演奏されません。それこそ、「フィクションの力」「ココロ」を失わない方法ではないかと思います。
尊敬する偉大な芸術家、野田秀樹氏が発表した文章に対する違和感とは以上のことによります。
もちろん感銘を受けて力を奮い立たせる方がいるということも否定致しません。
氏の文章によって表現が活性化されれば、それは何よりだと思います。
ですが、ぼくは「少しだけ」落胆致しました。
以上、個人的な意見でした。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。]]>
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